Q「美術ってなに?」 佐塚真啓


プロローグ

「美術ってなに?」
2005年19歳の春、美術の大学に進学し「美術」という言葉が、意識の最前面に押し出された。そこから僕の「美術ってなに?」が始まった。
このどうでもいいような問いが、寝ても覚めても頭の中を駆け巡り、モヤモヤ晴れない霧のように漂う日々がやってきた。
まわりに「美術・芸術・Art・アート」を志す人がいて、自分でも作品というモノを作ろうとする中で、その様々な人々から発せられる「美術」という言葉の姿を知りたいと思った。しかし、なかなかに、この言葉は発する人によって、多様な形を与えられ、口から飛び出してくる。
そもそも言葉というモノは道具であると思うのだが、それ自体も生き物である。
時間と空間の中で呼吸している。だから厳密に普遍的な姿を捕える事などできないのだろう。だが、自分が使う言葉くらいは、どんな姿をしているのか捕まえてみたい。
今、少しずつではあるが、自分にとっての「美術」の姿が浮かびあがってきている。
この言葉を考えているうちに様々な事を思った。「美術ってなに?」この問から僕が見ている景色を記したい。
20世紀美術の巨人マルセル・デュシャン(1887-1968)は晩年の対談の中で、
"ある種の単語には、意味の爆発みたいなものがあります。それらの語は、辞書に書かれている意味以上の価値を持っているのです。"
と言った。僕の中で「美術」という単語の爆発が起きている。「美術ってなに?」という、この一見どうでもいいような問が、今とても重要な問であるように思っている。

とりあえず

とりあえず「美術・芸術・Art・アート」について調べてみた。
しかしまず、本当にそもそもの話になるが、この4つの言葉はとても似ている。そして、「美術・芸術・Art・アート」という言葉が、自分に関係のない棚の上の言葉だと思っている人にとっては、この4つが、違うか違わないか、どう違うのか、なんていうのは、本当にどうでもいい話題なんだと思う。たしかにどうでもいい。それはある意味では認める。そう言ってしまう人の気持ちはわかるつもりだ。しかしそうしたら話は終わってしまうので、「どうでもよくないんだ!」と叫びながら話を続けるし、僕は本当にどうでもよくないと思っている。今、1つの価値観で積み上げてきた社会は変わる時期に来ている。そんな時、「美術」という言葉がキーワードになると思う。だから続けたい。

簡単に「広辞苑」やインターネットを使って「美術・芸術・Art・アート」という言葉を調べてみた。すると、「藝術」という言葉は、明治時代に西周(1829-1897)という思想家によって英語のリベラル・アーツ( liberal arts)の訳語として造語されたものであるらしい。その示すところは、「表現者あるいは表現物と、鑑賞者が相互に作用し合うなどして、精心的・感覚的な変動を得ようとする活動」と説明されていた。

また「美術」という言葉は、明治6年(1873)、日本政府がウィーン万国博覧会へ参加するにあたり、出品分類についてドイツ語のクンスト (Kunst)の訳語として「美術」を採用したのが初出とされる。そしてその後、明治10年(1877)日本国内の産業発展を促す目的で開催された政府主導の博覧会「内国勧業博覧会」の区分目録にて、「視覚芸術・造形芸術」に限定した概念となったとある。

よって今現在、一般的には「芸術」の方が「美術」の上位概念にあたるという事になっている。「美術・音楽・文学・演劇は芸術である」という事になるようだ。だから、東京芸術大学には美術科と音楽科があるというのだ。

英語の「Art」の語源はラテン語で「自然の配置・技術・資格・才能」を意味する「アルス(ars)」である。さらにアルスの語源は、ギリシャ語で、合わせ目・継ぎ目などの結合部を表し、つなぎ合わせるの意味をもつ「アーモス(armos)」と、テクニックの語源ともなっている「テクネ(techne)」である。秩序を司る神の名「Artra」や、アルメニア語で規則を意味する「ard」など、印欧語「ar-(適合する)」に基づく、と説明されていた。

「アート」はもちろん英語の「Art」を日本語として、音でカナカナ表記したモノである。そのカタカナの「アート」「アーティスト」が日本で頻繁に使われ出したのは、1970・1980年代からだという。そのあたりから、さまざまな場面で、さまざまな人に使われ、英語の「Art」とは違うカタカナの「アート」のニュアンスが、日本の中で生まれたようだ。そのニュアンスは実に様々なジャンル、人々によって形成されている。
更にそれを各々の潜在的なところで共有しているので、インターネットなどで調べようとしても、なかなか正確には記述できない。
また「〇〇アート」「〇〇アーティスト」といったように、様々な場面で、心地の良い響きとしてのみ使われるうち、本来もっていたであろう豊かな表情が摩耗し、なんとなく耳ざわりだけの良い、井上ひさしの言う「つるつるの言葉」になっていったようにも思う。そもそも、「アート」という単語は、外からインストールされた言葉。しかも、うまくインストールできなかった。日本に根を持たない浮草のような言葉である。しかしだからこそ「なんとなくカッコイイ」というイメージが日本人の中で共有し得たのかもしれない。個人的に「アート」という単語からは、右肩上がりの経済成長を背景に、本質的な物事の根をことごとく引っこ抜いた1970・1980年代。表面的な華やかさだけを追い求めた日本の姿を連想する。

明治時代などであれば、他国から言葉が入ってきた際には、その言葉が持つ意味内容を解釈し、自国の社会の中で、どの様な言葉が「対」に成り得るのかが吟味されたと思う。そして「対」になる概念がなければ、有りものを繋ぎ合わせ、造語という形で新たな言葉を生み出してきた。「リベラルアーツ」が「芸術」。「クンスト」が「美術」になった様に。しかし、時代は流れ、一眠りもすればアメリカに着く様になった時。国と国、社会と社会、人と人が近くなった時。言葉が持つ意味内容を噛み砕いて、自国の言葉に変換する必要を、感じなくなったのかもしれない。そのまま受け入れてしまう時代になった。それは、日本人が、他国での、その言葉が使われている社会を、昔よりイメージできる様になったからだと思う。その現れの1つとして、日本の中で「Art」が「アート」という形で使われ定着する状況があったのではないかと思う。

しかし、それは、言葉のもつ「イメージ」を抓んだまでで、本質的には掴んでいない。言葉はその言葉を育んだ社会のニオイがわからなければ、自分の言葉にはならない。だから残念ながら僕にとって「アート」とは漠然としたモニター越しの霧のような言葉でしかない。しかし今、時は更に流れ、人と人、社会と社会がさらに近づき、混ざり合ってきた。そんな今、日本においても「アート」という言葉を「Art」として使う人々が出てきていても不思議ではない。そしてそれが少数の特殊な状況ではなくなった時、日本は、どうなっているのだろうか。ある意味では「インタラクティブ」に「グローバル」に「ダイナミック」になるのだろう。しかしまたある一面では均一化していく社会・世界を想像し、淋しくも思う。どちらが良いとか、悪いとかの話ではない。この世界において、あらゆる他面性が意識化され、大切にされている世界を僕は望む。だから、僕は自分の生まれた日本で、そこで生まれ、使われている「美術」という言葉について考えている。「アート」ではない「美術」という言葉が持つ可能性について考えている。

また「芸術」という言葉について自分個人の思いを記すなら。「芸術」は「美術」より遠くにあったような気がする。「芸術」という言葉の響きには、どこか古めかしく仰々しいイメージがあり、棚の上に飾られている言葉のように思っていた。だから日常生活の中で自分の口から、自分の言葉として発する事はほとんどなかった。
幼少期、絵を描く事、物を作る事が好きで、それが小学校で「図工」になり、中学校・高校では「美術」という名の授業になった。そういう流れも「美術」という言葉の方に親しみを感じる1つの要因だとも思う。そしていつしか「芸術」という言葉は、意識の奥深くにしまい込まれていった。

「とりあえず」から

最初の方に、「とりあえず」という形で簡単に調べた「芸術・美術・Art・アート」について記した。しかしそれは、この文章を書くにあたり、提示する必要を感じたまでである。これを書こうとする以前の僕は無精ながら調べる事はせず、漠然とこの問に向かい合い、手当たり次第、周りの人に投げつけていた。たぶん投げかけられた相手は、「とりあえず」で記した様な事を僕がわかっていて、その前提の上に立っての質問だと思っていたのかもしれない。でもそうではなかった。だからなのか、なかなか話が立ち上がってこなかった。そしてだんだん、人に聞くのをあきらめ、自分の中で勝手に「美術」について考えるようになった。今にして思うと、それはそれで無知ゆえの幸運だったのかもしれない。
ある人に「美術っていうのはね、芸術の1つのジャンルで、視覚芸術のことなんだよ。終わり。」と言われて納得していたら、今、僕が「美術」という言葉の窓から見えている景色は見えなかったと思う。まず単刀直入に言う。
今、僕は「美術」「芸術」「Art」「アート」という4つの言葉に、それぞれ明確な違う姿を感じている。そろそろ、この4つの言葉は社会の中で使い分けられる時期になっているのではないか。その方がいいと思う。そして更にその中で、「美術」という言葉が、今の社会が抱える、複雑に絡まった様々な問題を解きほぐす、キーワードになるのではないかと思っている。
それは、当然、「視覚芸術・造形芸術」といわれる「芸術」の一ジャンルとしての「美術」ではない。「美」という世界を見つめる個人の視線を、社会というテーブルにのせる「術」。「美術」。それは、「Art」や「アート」という言葉では置き換えできない、意味や可能性を言葉の中に封していると思う。その封印を解きたい。

漢字という1つの文字にイメージを圧縮できるという特異な言語、その中でもあらゆるイメージのプラットホーム、南方熊楠いう所の「萃点」になりえる「美」という文字。そして、人間の行いを意識化した姿を表す「術」。それらを組み合わせ言葉が生まれ、奇跡的に使われている日本において、この封印を解きたい。そして海の外に発信できる言葉だと思う。

時は明治6年。ウィーン万国博覧会へ参加するにあたり作り出されたという「美術」という言葉。勝手な解釈は多々多分にあると思うが、時計の針を左に回して、「美術」という言葉が生まれた瞬間、その中にどんな思いが封されていたのかを想像している。

「美術」の封印を解く

「美術」という言葉の封印を解くための、鍵を握っている人間が2人いる。
南方熊楠(1867-1941)と柳宗悦(1889-1961)である。

熊楠は、生物・科学・民俗・言語・宗教、その他、実に様々な事に興味を持ち、またそれらに真正面からぶつかっていけるだけの、強靭な体力、深遠な智識、揺無い信念、を持っていた人物だ。

宗悦は、宗教・哲学から「美」という世界の法を見つめた。さらには、身の回りにある、物を「見る」という直接的な行為をもってして、その中から「美」を掬い上げた。そして明快な言葉と共に、実体を伴う「美しい物」を示す事で「美」とは何であるのかを、社会に投げかけた。

彼らとは本を読むことでしか出会えていないのだが、そこからは笑ってしまうほどの、ニオイや、視線を感じる。
その熊楠が、この世界・宇宙をとらえようと試み示した「熊楠曼荼羅」。
そして宗悦が、「美」という視点から社会を変える思考として実践した「民藝運動」。
この2つの中には、「美術」という言葉の封印を解く確かな鍵があると思う。
僕が「美術」という言葉を発する時、勝手な解釈も多々多分にあると思うが、この2つを想う。ぜひ、直に彼らの本を手にとって、実際に彼らと出会い、耳を傾けてもらいたい。
というところから話をはじめたい。

「熊楠曼荼羅」

まず「熊楠曼荼羅」という思考の骨格として、「物」「心」「事」という3つの要素がある。この3つの関係は、「物」と「心」が出会い、交わるところに「事」が生まれるという関係である。そして、「事」という状態になってはじめて人間の中に姿を現す。
それ以前の状態、純粋に「物」だけがある。「心」だけがある。という状態では、それらは人間の中に姿を現さず、意味を持ち得ない。

例えるなら、あなたが山道を歩いていて疲れて、あたりを見回していると、道端にちょうど腰かけられる程度の石があった。それを見たとき、ただの石という「物」が、あなたの座りたいと欲する「心」と交わり、「腰掛け」という「事」として現れる。
だがさらに、そもそも道端に転がる、「重たそうな動かなそうな塊」を見て、「石である」と、認識した時点で、すでに「塊=物」とあなたの「心」は交わっていて、「石」という「事」になってあなたの中に姿を現している。すなわち、僕らが見聞きし、認識し自らの意識のテーブルにのせている状態は全て「事」という状態においてである。そして、この「事」は「名」を与えられ「印(イメージ)」として個人の中に蓄積されている。

そういう「事」の連鎖が人間にとっての、この世界の姿である。この「事」という状態が「美」の根元的な姿だ。「美」を考えるとき、その対極に「醜」という状態がある。
この「醜」は「美」から縁遠い状態だと思われるかもしれないが、同じ「事」という状態の変化した姿でしかない。
「事」に、さらに「意識的な心」が出会い交わることで、「美」が生まれ、「醜」が生まれている。そう思った時、絶対的に「美しい物」や、絶対的に「醜い物」は存在しないということに気が付く。「事」は、それらが交わる「意識的な心」のあり様によって、相対的に流動的に漂っている。
物事は「肯定する心」をもってすれば「美」になり、「否定する心」をもってすれば「醜」になる。
「肯定」するとは、「向かい合う姿勢」である。「否定」するとは、「退ける姿勢」である。どんな物でも、真正面から向かい合えば「美しい物」になり得、又、退け続ければ「醜い物」になる。全ての物事は、美しくなる可能性も、醜くなる可能性も同時に潜ませている。本来、「美・醜」とは、それに出会った人が、自分の姿勢によって作りあげているモノである。

例えば、忙しない日常、通勤・通学途中の道端に「小さな塊」が転がっている。それにあなたが気が付き、そっと足を止めて見る。自らの「心」を寄せる。すると、そのただの「小さな塊」は「石コロ」となり、あなたの前に姿を現す。「事」としてあなたの「意識のテーブル」にのぼってくる。それを拾いあげ、じっと眺め向かい合ってみる。「この石はいつからここにあったのだろう?」「この石はどこから来たのだろう?」「まるい形をしているな。」「色々なモノにぶつかり角がとれていったのかな?」「もともとはどんな形をしていたのだろう?」そんなふうに、ゆっくりと向かい合い、「心」を寄せ会話ができたとする。その会話が途切れなく続いた先では、そのただの「石コロ」であった「物」は、あなたにとって、大きな「事」、「大事な物」となっている。
それをそっとポケットに入れた時、その「石コロ」は、あなたが生み出した「美」を携えている。その「美」を作り出したのは、あなたの「心」なのです。

博物館・美術館に陳列された、どんな「物」たちも、それ自体が「絶対的な美」を携えているわけではない。それが「美」として陳列されているのは、あなたがさっき道端の石コロを見つめ「心」を寄せ「美」を与えたのと同じ事を、誰かが行ったからである。意識ある人間の強い思い「心」が投げかけられたから、その「物」が博物館・美術館のショーケースの中にある。「絶対的な美」なんて、どこにもない。ただこの世界は「美」になりうる、あらゆる物事で埋め尽くされている。

それと同じく「絶対的な醜」も存在しない。あなたが、通勤、通学途中の、さっきと同じ「石コロ」を、邪魔な物と思い「否定」し蹴飛ばし、退け続けるなら、それは「石コロ」にあなたが生み出した「醜」を携えさせる。

しかし、さらにそもそも、あなたが道端の「石コロ」に気が付きもしなければ、それは、「美」にも「醜」にも成り得ず、さらには「事」にも成り得ず、あなたにとっては存在しない「無」という状態である。「無」は「物と心」が交わる前の状態である。
「美と醜」というのは「事」であり、「物と心」が交わった結果である。「無」はそれ以前の状態。僕らにとって身の回りの「物」が、自らの「心」と交わらず、「意識のテーブル」にのぼる前の状態、「無」であることはとても多い。この「無」を「事」に変えていくことが、更には「事」を「美」に変えていくことが、どれだけできるのか。それが人間の「豊かさ」について考えることだと僕は思う。

そんな時、ふと思い出す言葉がある。小学校の時どんなタイミングであったのかは忘れてしまったが、先生が言った。「愛するの反対は憎むではない。無関心だ。」と。こんな言葉を子どもに向かって言う先生も、どんな先生なのか謎だなと思いつつも。その時はよくわからなかった。しかし、今ならなんとなくわかる気がします先生。「美の反対は醜ではない。無だ。」ということになるのですね。

「井戸茶碗」

宗悦の「見る」という行為においては、まさしく「物」と「心」が交わり「美」が生まれている。その「美」が生まれる瞬間「心」を意識化し、実際の「物」を示した。そこで生まれる「美」について社会に問いかけた。この問いかけには、「心の動き」すなわち「美」よりも「経済」が優先される、今の社会の窮屈な価値感を転倒させる「革命」の様な、可能性が多く示されている。「物」と「心」が交わる事で起こる「革命」。それが「民藝運動」だった。
宗悦は、先人達の「見る」という行為によって「物」が「美」を携えた例、そして、価値転倒「革命」が起こった例として、「井戸茶碗」を通して記している。
それについて書こうと改めて、宗悦の「茶と美」という本の中に、収められている「喜左衛門井戸を見る」という文章を、通読したのだが本当に面白い。いたる所で宗悦という人間のニオイというか、存在を感じ、思わず何度も笑ってしまった。
昭和6年(1931年)3月8日、京都にある孤蓬庵(こほうあん)という寺で「喜左衛門井戸」という器を手にした宗悦の感動が、17ページほどの短い文章になって留められている。とても読みやすい文章なので、ぜひ直に手にとって、その時の宗悦に出会ってもらいたい。こんなに1つの「物」に対して、自分の全てを投影し、言葉を尽くす人間がいたという事にまず驚く。

「茶の湯」の世界で、最も尊まれている器が「井戸茶碗」であるという。「井戸」というのは、朝鮮にある地名の音に字をあてたとも、形が井戸のように深いからなどとも、様々な説があるようだ。朝鮮半島で作られ、そこで庶民に何ともなく使われていた飯茶碗であった。16世紀頃に朝鮮半島から日本に渡来した。それ自体は何の変哲もない、宗悦の言葉を借りるなら、「平凡極まる世にも簡単な茶碗」であるらしい。しかし、そんな朝鮮にいくらでもあったであろう平凡極まる茶碗。それが日本の中で、大名が一国一城にも値する金子を積んででも欲する「物」になる。そこには、「美」を生み出す、強い眼をもった茶人達の「見る」という「創作」があった、というのである。

物理的に土をこね、形づくり、焼き、「器」を作ったのは朝鮮人である。しかし、それを見つけ、そこに「美」を与え、肯定できる「美しい器」、万人が欲する「一国一城に値する器」、「井戸茶碗」を作ったのは、日本の茶人達の「見る」という「創作」であった。宗悦はそんな風にいう。眼の力。視線の力。あなたがさっき、道端から拾いあげ、ポケットに入れた「石コロ」。それに、あなたが与えた「美」の極まった姿がここにある。

そもそも「茶道」という道には、「物」と「心」を交え、そこから生まれる「事」を極限まで意識化し深め、想像する力を使って、「宇宙の姿」にまで達する方法を、探ろうとする人々がいたのではないか。宗悦の本を読んでいるとそんな事を思う。また、宗悦自身も様々な「物」を通して、そんな事をしようとしていたのではないか。
この姿は「禅」という道にも通じている。

また、日本における庭園の1つの様式である「枯山水」。日本人はそこでも「石や砂」という「物」を、想像する力によって、「水や山」、さらには「宇宙の姿」を作り出そうとした。
少し気を抜いたら、話が「宇宙」になってしまったが、日本には、そういう「物」を「見る」という文化。向かい合う文化。「眼」から「美」を創作する文化。世界に誇れる「日本の眼」があったと宗悦は言う。
それは、日本において、「物」に各々の「心」を交え、「事」を起こし、更に、それを見つめ肯定し「美」を生み出す。「美」が生まれる。というあり方が、共有されていたという事だ。たぶん日常の中で庶民が、「美」という言葉は、用いなたっかだろう。「面白いね!」という言葉で十分であったと思う。僕が思う「美」とは、個人が発する「面白い」という言葉に置き換えられる。「心」が動く事であり、「心」が動かない所に「美」が生まれる余地はない。

宗悦という人間の「眼」をもってして見た世界。茶祖達の「眼」をもってして見た世界。さらには、熊楠という人間の「眼」をもってして見た世界。「美」を生み出せる「眼」を持った人達から見えた世界はどんなに、「美しく」、「面白く」、「豊か」であったであろう。そして、それは現在においても、特殊な事ではない。僕のまわりにも、そんな「眼」を感じさせてくれる人は何人もいる。
ここでいう「眼」という言葉に、抽象的な響きを感じるかもしれない。この「眼」とは、もちろん物としての「眼球」を直接的に指し示す言葉ではない。「眼」という器官を通して「見る」という「視線」。「姿勢」であり。更には、「見る・聞く・触る・嗅ぐ・味わう・感じる」など、人間が使う事が出来る、持てる全ての器官・感覚を総動員して、対象に向かい合う「姿勢」に対して、「眼」という言葉を用いている。
そんな「姿勢」「視線」「眼」を持つ人達から見える世界はどんなに、「美しく」「面白く」「豊か」であろうか。そんな事を思うと今日も世界は輝きを増すような気がする。

1つだけ。宗悦の言葉の中で、僕が残念に思う事がある。それは宗悦の使う「美術」という言葉についてである。僕はこの文章を通して「美術」という言葉に封じられている可能性を、解き放ちたいと思っている。1つのジャンルになってしまった「美術」。「視覚芸術・造形芸術」のみを指し示す「美術」ではなく、「美」という世界を見つめる個人の視線を、社会というテーブルにのせる「術」。それを「美術」と呼びたいのだ。しかし、宗悦先生は「美術」という言葉を「視覚芸術・造形芸術」「特殊な個人の術」を指す言葉として使っている。
それは、宗悦が生きていた時代、「美術」という言葉が、今でいう「つるつるの言葉」になってしまっていて、宗悦がその言葉に可能性を感じなかったという事の様に思う。だから、「民藝」という言葉を作りだし、自分の見た「美」の世界を、その言葉を通して投げかけたのだろう。言葉は生きている。現在、一般的に宗悦が思いを込めた「民藝品」という深い思想は、地方のちょっと洒落た「おみやげ品」を指す言葉になってしまった。言葉は生きている。
僕は宗悦の「民藝」という言葉が息を吹き返す事を願っている。その可能性は多分に残されていると思う。本という形で宗悦と出会う事は何時でもできるのだから。図書館・本屋さん・アマゾンで宗悦先生はあなたを待っている。
断言できる。「宗悦の視線は面白い!」
そして、本当にそもそもで、僕が「美術」にかわる新たな言葉を考えればいいのではないか。という声が聞こえてきそうである。しかし、僕は今どう考えても僕の思い描くあり様を、指し示す言葉は「美術」としか言えないのである。そもそも「美術ってなに?」という疑問からスタートしたのだから。もし良い言葉があれば、いっしょに考えたい。

デュシャン

海外に目を向けてみる。すると、熊楠・宗悦の「視線」と交わる「視線」を感じる人間が居る。美術界の巨星、マルセル・デュシャン(1887-1968)である。

デュシャンはフランス生まれのアーティストで。最初は絵を描いていた。しかし次第に、絵を描く、物を作る、という以外の表現方法を模索した。その試行錯誤の結果として、あまりにも有名なのが、1917年、既製品の便器にサインをし、「Fontaine(泉)」というタイトルをつけた作品である。その作品は、連綿と「物を作る事、作った物」が、中心であったアートシーンに衝撃を与え「革命」を起こした。そこから「Art」という世界が、物を作る職人的な「技」から、「コンセプト」という、「何故これがArtであるのか」という問を立て、答える事に拡張されていった。故に、デュシャンは「コンセプチャルアート」の祖と言われている。晩年には、作品をほとんど制作せず、チェスをして暮らしたとされるが。しかし、その姿でさえ、デュシャンの「Art」という概念の拡張だったのではないか、と言われてしまう。まさに生きていた事、その存在、全てが「Art」であり得た20世紀「Art」の伝説である。


デュシャンは美術史において、無視できない大きな星として輝いている。日本においても、彼に多大な影響を受け、今の「わからない」と言われてしまう日本現代美術の骨格が形成されている。僕は、本や作品という断片的に、そして間接的にしか、彼の思考に触れられていないのだが、デュシャンという人間は面白いと思う。しかし、彼の訳された本を読んでいて、その言葉を、わかりやすい物にしてくれたのは、熊楠の「熊楠曼荼羅」であり、宗悦の「民藝運動」であった。

デュシャンが僕に憑依して、しゃべりだしたとする。
「事」「事件」が起きない「物」、「網膜的な物」をいくら作っても意味がないよ。まず「物」に「心」が交わる瞬間。「美」や「醜」の前の状態。「事」を作り出せばいいんだよ。そして、それを「肯定」してしまえば、もうそれこそが「美」だよ。その時の「物」って何でもいいんじゃないかな?作らなくたっていいよ。むしろ何でもいいなら、作らない方がいいよ。よし、お店に行って選ぼう。そういう選ぶ「眼」を持つこと「見る」こと自体がすでに「創作」じゃん。
そう言って「便器」が「作品」になったのだと思う。そして。
もういいよ。そもそも「事」なんて、いくらでも、何処ででも起きているじゃないか。それらを全て「肯定」してしまえばいいんだよ。それが「美」だよ。ほら僕らの周りは「美しい物」で溢れているじゃないか。だったら、自分があえて「作品」なんていって「物」を選んで「事」を作らなくたって、「生きている」という「事」それだけでいいんじゃないかな。そうだ、疑似的に多くの人間が「生きている」という「事」の連続を感じる遊びがあるじゃないか。チェスをやろう。
かなり乱暴にではあるが、僕は20世紀美術の伝説はこの様にして生まれたのだと思う。熊楠の「物」と「心」が交わり「事」が生まれる、という視線。宗悦の「見る」という行為は「創作」であるという視線。それらが交わった所にデュシャンに立ってもらうと、美術作家としてのデュシャンの生き方が、なんとも自然な姿に感じられる。
デュシャンは特別な事をしていない。特殊な考え方でもない。
ただ「物」と「心」、「事」の自然なあり様に則し、全てを「肯定」してしまう、という「美」を生み出す「最終奥儀」に気が付いてしまった。それを使ったのだと思う。
面白いと思う人たちには、どこかで、この「最終奥儀」である「全てを肯定してしまう」という「技」に、気が付いてしまっているのではないかと思う。どんな「物」でも、どんな「事」でも「美」に変えてしまう。面白がれる。そういう「眼」をもった人間。デュシャンにもピカソ・ウォーホル・北斎、にもそういう「眼」を感じる。
そういう人達にとって、対象、モチーフを吟味して選ぶという事は、あまり重要な事ではなくなるのだろう。なんでもいいのだ。むしろ、へたに吟味などしない方がいいのだ。自分の心が動けばなんでもいい。それを「見る」自分の姿勢。自分の「眼」で「美」を生み出せばいいのだから。わざわざ誰かが「美しい」と言っている物、美しいとラべリングされた物を選んでくる必要がない。そもそも絶対的に「美しい物」など、どこにもないのだから。「美」は自分の心さえ動けば、いつだって、どこにだって潜んでいる。それに気が付いていたのだと思う。

「美」から「美術」へ

ここまでで、「美」はどこにだってある。なんだっていい。だれだって生み出せる。そう書いてきた。その通りだと思っている。「美」はあらゆる所に漂っている。
しかし、「美術」は「美」を見つけるだけの「術」ではない。さらに一歩踏み込んで、見つけた「美」を社会というテーブルにのせる「術」でありたい。「美術」は自己完結し得ないのである。あなたが「石コロ」に感動しポケットに入れただけでは、まだ「美術」ではない。

その「石コロ」を家に持ち帰り、母に見せ、兄弟に見せ、友に見せ、会社で同僚に見せ、先輩に見せ、師に見せ、街頭で道行く人々に見せ、自室で展覧会を開き、本を作り、配り。落ちていた「ただの石コロ」があなたにとって「大事な石コロ」になるまでの「心の動き」を露にして、自分以外の人にも、あなたが「石コロ」との会話を通して見えた「景色」を見せること。その表出させる姿勢こそが僕が思う「美術」である。

「美術」という「術」は、「気づく」「作る」そして「仕舞い込む」という自己完結形の姿勢ではない。他者にそれを「見せる」「伝える」「共有する」という「心の動き」を露にし、表出させるまでの姿勢にある。
そして、「美」が誰にでも生み出せるように、誰にでも「美」を伝える事は出来るのである。例えば、友人とコンビニに行く途中、道端のタンポポに気が付き、友人に「きれいだよね!」って言う。その一言が、小さな「美術」なのである。

ラスコーの壁画から、ダビンチ・ミケランジェロ・レンブラント・フェルメール・北斎・モネ・セザンヌ・ゴッホ・ピカソ・マチス・ダリ・ポロック・ウォーホル・デュシャン・ボイス・クーンズ・ハースト。世界で行われてきた、ありとあらゆる、イズム・主義・主張を超えた、最先端の「美術」。根元的な「美術」の姿がそこにはあると思う。
そんな事を言ってしまったら、身も蓋もないと言われてしまいそうであるが、「美術」の核になっている姿。原風景はそこにあった。
恐れずいうなら、「美術」が「誰が何に心を動かしたのかの表出」であると考える僕にとって、「美術史」は人間が何に心を動かしてきたのか、という「人間の歴史」そのモノであっていい。更に言えば「現代美術」とは、「今を生きている人間が何に心を動かしているのかの表出」であるはずだと思う。
しかし、今「美術」が内からも外からも小さな「ジャンル」として捉えられているなら、それは単に「ジャンル」の話でしかない。小さなつまらない「ジャンル」である。そんなモノに関わりたいとは全く思わない。人間という生き物は何に「心」を動かすのか、そこに興味がある。

「美術」を「ジャンル」にしてしまえば、いろいろ話は簡単である。「美術」をやっている人がいて、やってない人がいて、やっている人が作る「物」が「作品」で、やってない人が作る物は「ただの物」。「作家」は「美術」というジャンルの自意識の柵の中で「物」を作っている人で。柵の中で作る事を「制作」。柵の外で作っているのは「趣味」。
更に「美術教育」っていうのは、画材の使い方、絵の描き方、物の作り方を教えればいい。写真みたいな絵が描けた子は100点。こんな、滑稽な話はないと思う。しかし、この滑稽な状態が、内でも外でも「美術」を「ジャンル」だと思い込んでいる人達の中で起こっている。それは本当に面白くない。「美術」という言葉の可能性を閉ざしてしまっている。

僕はジャンルではない「美術」の話をしたい。
「美」という世界を見つめる個人の視線を、社会というテーブルにのせる「術」。誰が何に「心」を動かしているのかの表出としての「美術」。
そしてその上に立って「美術作家」「美術作品」「美術館」「美術教育」「美術史」を考えていきたい。

芸術から美術へ

今、改めて「芸術」「美術」という言葉について考えたとき。「広辞苑」やインターネットなどによって示されている「美術」の上位概念として「芸術」という言葉がある、とされる一般通念に違和感を覚える。

それは、「芸」という言葉より、「美」という言葉の方が、僕により多くのこの世界のあり様をイメージさせてくれるからである。

「芸術」は、ある「行為」を連日の修練によって「技」にし、磨き突き詰め、体に染み込ませ「芸」にまで高める。「芸」という文字には、常人ならぬ超人や、際立った個人の姿を感じる。
だが、この「芸」という状態は、見る者によって定義されている。例えば日本人が食事の際に無意識的に「箸を使う」という行為も、それをしない文化圏の人々からすれば、それは立派に「芸」であろう。もっと極端にいえば、人間の「2本の足で立って歩く」という行為も、無重力空間に漂う生活をしている宇宙人がいたとしたら、驚くべき「芸」に見えるだろう。「芸」は、その「行為」と、それを見る者との距離。普通とされる状態からどのくらい突出しているのかということによって定義されている。だから「何が芸か?」という問は「あなたは何を普通としているのか?」という問を背後に隠している。

「芸」は、「行為」を「体」に刷り込ませ、染み込ませる修練によって、無意識の状態においてでさえ、「体」が勝手に動く事を理想としている様に思う。それは、「職人」というあり方に近く、その存在自体が美しい。「芸術家」という存在には、「花そのものになる事」を理想とする様な、それ自体が美しく、神々しくあろうとする姿を想う。

しかし、僕が思う、「美術」という「術」を使う「術者」は、自らが神々しくなる事を目的としていない。自らが美しくなるのではなく、美しい物事、自らの心が動く物事に気が付き、それを掬い上げ、表面化させるのである。「美」に成ったり「美」に溶け込むのではない。「花そのもの」になるのではなく、花と向かい合い、そこに潜む自分の心が動く「美」を表出させ、他者の心を動かす。それが「美術」である。

「美術」というのは、自分の心の動いた物事、「美」を、あらゆる方法を尽くし顕在化させる「術」である。それは、超人の技ではない。誰しもが日常の生活の中で行っている。花を見て「きれいだね」って言う。美味しい物を食べ「おいしいね」。山に登って「きもちいいね」って言う。その他者へ発せられる一言一言。自らの心が動き、それを他者と共有したいと願い顕す。そんな姿を「美術」の原型と考えたい。

そういう「芸術」「美術」という日本語をキーワードにして、西洋の「Art」を考える時、「芸術」から「美術」になっていく過程を20世紀「Art」の流れに見てとれる様に思う。

物の姿をそのまま写しとれる写真技術の発明によって、手で絵を描き、姿を写しとるという「技・芸」の意味が問われた。そこで絵を描くとは、人間の「心」が動いた印象「美」を留めるための行為であり、そっくりそのまま、対象を写しとるという事が、絵を描くという行為の唯一の本質ではない事を表出させた、モネの「印象・日の出」。

精緻で安価な工業製品の流通によって、手によって物を作るという「技」の意味が問われた際の、デュシャンの「泉」。大量生産・消費という物で溢れた社会の中で、モチーフを選ぶという「技」の意味が問われた際のウォーホルの「キャンベルスープ」。いわずもがな、ボイスの「社会彫刻」。

これら「Art」の重要なトピックでは、それまでの職人的な、超人的な「行為」「技」「芸術」からの反動として、人間の「心」を動かす対象「美」を表出させる事を主眼にしていた様に思う。「芸術」から「美術」へ。その、背後には、職人的、専門的な「技」が、機械の登場によって、特権的な存在ではなくなっていく、という20世紀に入っての社会の動きが見える。

「芸術」の「技」は日進月歩の技術的な進歩によって、意味が問われ続けている。
例えば、対象の姿を写しとる「技」。昔であれば、対象を凝視し、デッサンを繰り返し、日夜絵筆をとり、粛々とした日々の修練があった。その結果として「絵を描く」という超人的な「技」が存在していたであろう。
しかし、今現在、多くの人のポッケトに収められた携帯電話。それに付いているカメラさえあれば、誰もが、世界を写しとるという超人的な「技」を使えるようになった。だから「技」には意味がない。と言いたいわけではない。
「技」の意味が問われている。その「技」は、誰が何に「心」を動かして行われているのか。何を「肯定」するのか。何を「美しい」と思うのか。各々が感じ考える「美」について問われている。言ってしまえば、「心」の動いていない人間の「技」になど意味がない。優れた「技」の裏には必ず「心」の針をあらゆる物事に震わせている人間の姿が存在している。「心」の動いていないただの「技」。ただの「芸術」は、社会・時代の流れの中で、霞んで姿を消していくだろう。

「ヘタウマ」

そんな時、ふと思い出すのが、「ヘタウマ」という概念である。
湯村輝彦というイラストレーターが元祖とされ、日本の1970年代後半、スーパーリアルなイラストレーションが全盛期の頃。それに対抗する存在として、一見、技術的には拙そうに見える落書きの様な「ヘタ」なイラストレーションが登場した。しかし、その「ヘタな絵」は、人の心を動かすのが「ウマい絵」であった。だから「ヘタウマ」。そこから派生して、「ウマヘタ」「ウマウマ」「ヘタヘタ」という言葉も耳にする。
これが、僕にとっては、「芸術」と「美術」について考える時、頭に浮かぶキーワードになっている。
「ウマヘタ」は、専門的な高度な技術によって描かれた「ウマい絵」ではあるが、人の心を動かすのが「ヘタな絵」。「ウマウマ」は専門的な高度な技術によって描かれた「ウマい絵」であり、人の心を動かすのが「ウマい絵」。「ヘタヘタ」は稚拙な「ヘタな絵」であり、人の心を動かすのが「ヘタな絵」。「ウマ」だの「ヘタ」だのとややこしいが。

「芸術」を志す人間が一番陥りやすいのが「ウマヘタ」である。技術的には専門的であり高度であるにも関わらず、まったく面白くない。見る者の「心」を動かさない状態。作品が「技」によって自己完結してしまっているのである。技術のある人間は、自分の「心」が動いていなくても、日々の修練によって「技」を「体」が覚えてしまっているので、一見「ウマい事」出来てしまう。そこには「惰性」という魔物が潜んでいる。
「芸術」が目指しているのは「ウマウマ」だけである。
しかし、「美術」は、「ウマウマ」でも「ヘタウマ」でもよく、最後に見る者の「心」を動かせればいいのである。特殊な機材など不要で、鉛筆1本でも世界をひっくり返せる。それが「美術」である。そして、「ヘタウマ」には「惰性」という魔物が入り込みにくい。それは、技術のない「ヘタ」な状態で物を作りたいと思う時の「衝動」という「心」の動きに守られているからだと思う。極端に言ってしまえば、「ヘタヘタ」という状態は嫌々やらされている時にしか生まれない。「衝動」に駆りたてられ作り出された物には、どんな形であろうと、かならずどこか人の心を引き付け、動かしてしまう魅力がある。

しかし、今の学校の「美術教育」という制度の中で、「ヘタウマ」というあり方を評価する事ができるのか。「美術」というものの根底にある「衝動」をどうやって伝え評価していくのか。「ウマウマ」は100点だけど、「ヘタウマ」も100点なんだよ。それをわからない人間が「美術」なんて教えるべきではないと思う。「評価基準を全ての人が共有できるように透明に設定する必要があるんです。そうしないと文句がでてしまうんです。」という声が聞こえてくるかもしれない。しかし、それは「美術」の根である「心」を動かすという事を、教える側が怠っているとしか思えない。

「4種の世界」

人間を取り巻く世界を、大きく4つに分ける。「私世界・団世界・大世界・最大世界」である。そして、そのそれぞれの世界に「法則」があり、その下に、「美」にも「醜」にも成り得る「事」への個人の姿勢がある。よって「美」にも4種類ある。その4種を意識化する事で少し細かく「美」という「心の動き」と、それを表出させる「術」について考えてみたい。

まず、全てのスタート、出発点になる世界。それは自分自身の「体」であり「心」である。それが「私の世界」である。人間の数だけ存在している、この「私世界」の法則は「生」。自らが生きる事、生きられる状態と向かい合い、それを肯定する事が「私世界の美」に通じている。逆に、自分の生きる事を脅かす存在は「醜」であり。退ける必要を感じるであろう。

次に「集団の世界」がある。「団世界」は、人間の数だけ存在する「私世界」が様々な形で束ねられた状態である。家族や会社、学校、部活、サークル、友人のグループだったり、派閥だったり、国だったり。1人の人間は複数の、大小様々な「団世界」に属している。その「団世界」の法則は「理」である。集団が生まれる状況における、理由、理屈、道理と向かい合い、それらを肯定する事が「団世界の美」に通じている。政治や経済はこの「理」を探ろうとしている。

そして、人間の存在を超えた所に「大きな世界」がある。地球や宇宙、自然の存在である。人間が従うしかない世界。その「大世界」の法則は「真」である。この世界のあるがままの姿、真実、真理と向かい合い、肯定する事が「大世界の美」に通じている。数学や科学、自然を扱う学問などは、この「真」を探ろうとしている。

そして、さらに、この「大世界」をも超えた世界、「最大世界」とでもいう存在がある。この「最大世界」の法則は「生」や「理」や「真」が存在するという「謎」である。それに向かい合い、肯定する事が「最大世界の美」に通じている。ある意味では、「美」というモノを感じる人間の「心」の存在が「謎」である。哲学や宗教などは、この「謎」を探ろうとしている。

ある時、友人に「世界」と「社会」という言葉をどの様に使い分けているのかと聞かれた。話の中でとても抽象的な言葉になっていたのだろう。僕が「世界」という言葉を発する時イメージしているのは、「私世界・団世界・大世界・最大世界」の4つ全てであり。「社会」という言葉は、主に「集団の世界」のみをイメージしている。
人間以外の動物なども「群れ」を形成するが、家族・友人・部活・サークル・同好会・派閥・学校・会社・村・町・市・県・国・宗教・言語・人種・世代、ここまで多種多様な「集団の世界」を作るのは人間固有のあり方なのかもしれない。アリストテレスの「ヒトは社会的な動物である」と言う言葉も思い出される。

しかし、「人間」やそれを取り巻く「4種の世界」の存在について考える時、この「団世界」だけを中心に据えて考えていくと矛盾や破綻が生じてしまう。「団世界」はそこに集う人々の共有する「物語・幻想」によって構成されている世界だと思う。だからそれらの「幻想」を、絶対的な動かせない「現実」だと決めつけるならば、「世界」は「幻想」によって脅かされる。そこでの「美」すなわち「理由・理屈・道理」は、それぞれの集団によって玉虫色の様に姿を変える。A団で「美」であった物が、B団では「醜」である。とされる「事」は多々ある。

宗教による争いなどを思うと、とてもイメージしやすい。
A団の「神」は、B団にとって「悪魔」なのである。また逆も然り。そして、その神だの悪魔だの、というそれぞれの「幻想」を絶対的な「現実」とし、「私世界の法・生」や「大世界の法・自然」を犯してまで争いをするから、「世界」は壊れていく。それが今いたる所で起こっている。
それぞれ違う「幻想」を有している、A団・B団があったとする。しかし、そこに属する1人1人、個人の「私世界の法則」に目を向ければ、みんな、美味しい物を食べればうれしいだろうし。ぐっすり寝むれた日の朝は気持ちがいいだろう。そして、A団・B団に属する人も、リンゴを持ち上げ手を離せば、下に落ちていくし。酸素や水によって生かされていて、一方通行の時間を共有している。それらは「大世界の法則」によるものである。そして結局、それら「人間・心・美味い不味い・食べ物・朝・寝る・リンゴ・上下・酸素・水・時間」がなぜ存在するのか、というのは「謎」であり「最大世界の法則」に通じる。

「私世界」「大世界」と「最大世界」の法則は、「団世界」のそれよりも、動かしがたい深い根を持っていると思う。変えられない・変えない方がいい・変えてはならない「現実の物語」と、変えてもいい・変えられる・変えたほうがいい「幻想の物語」とは何であるのか。

「団世界」は「私世界」「大世界」「最大世界」の間に築かれた人工的な物語「幻想」だと思う。人間はその幻想なしでは生きていけない、儚い生き物であるのだろう。儚いがゆえに、あらゆる時代いたる所で、様々な幻想をつくりだし寄り添って生きる試みがなされた。その結果、さまざまな物事が便利になり、不可能が可能になった。幻想が現実を引き寄せたのである。そして、地球上において特権的な生き物であると自負するに至った。勘違いするに至った。確かに人間はこの世界において「特殊な生き物」であるという事は疑いようがない。しかし、この世界の全ての「物語」が人間の力によってコントロールできると思うのは、大きな災いの素だと思う。原子力の問題などを思うと、そんな事を強く思う。

「お金」というモノサシ


「美術」について考える時、「美」は個人の「心の動き」に由来すると同時に、その個人を取り巻く「世界」について考える必要を感じる。本来、1人の人間の存在は、この「4種の世界」すべてに属している。そして、その中で「心」を動かし、物事の「価値」を、他の者と共有するための「物語」を、言葉や態度や思いを積み上げ、紡いでいった。この「価値」を紡いでいく過程での、個人の言葉や態度が「美術」であったと思う。

そしてある時、人間は形を留めない、言葉や態度や思いで紡がれた「価値」を、「集団の世界」において形式化し具現化する「道具」を発明した。それが「お金」であった。その「お金」という「価値」を「モノサシ」にして、人間の様々な「物語」は発展していった。その「道具」の発明によって、どんどん分業化や専門化が推し進められ、ほんらい「4種の世界」すべてに属し、それらを横断する形でしか生きられなかった人間が、幸か不幸か、断片的な世界との関わりを持つだけで生きていけるようになった。それに伴い「4種の美」について、それぞれを扱う事も分断されてしまった。今、私世界の美「生」を扱うのは、趣味。団世界の美「理」を扱うのは、商い。大世界の美「真」を扱うのは、学問。最大世界の美「謎」を扱うのは、宗教。というふうに、それぞれの対象に向かい合う個人の姿勢が、カテゴライズされてしまっている様に感じる。本来、人間の1つの行為は、自分という1人の人間の生きる事を模索する「趣味」であり、他者と共に生きるため能力を交換しあう「商い」であり、行為を取り巻く自然法則と向かい合う「学問」であり、なんで、自分がいて他者がいて向かい合う対象が、この世界があるのか、という謎に向かい合う「宗教」や哲学であったと思う。

「心の動き・美」に対する個人の姿勢を「世界」の中で分断してしまった1つの原因として、「お金」という「モノサシ」が強くなりすぎてしまい「私世界」から生まれる「内なる価値」をも、「団世界」の「物語の価値」に委ねてしまったという事があると思う。それと共に、「お金」を生み出した「団世界」も強くなり、他の「世界」を歪めてしまっているのではないかと感じる。自らの命「私世界」を絶ってしまう「自殺」も、「大世界」を蝕む「環境問題」も、「最大世界」の「謎」など存在しないかのごとく振舞う「傲慢さ」も、どこか肥大化した「団世界」が「4種の世界」のバランスを歪めてしまった事の現れの様に思えてならない。

今、「これには価値がある。」という言葉を発した時、まっさきに「いくら?」という「お金」という「モノサシ」が差し出され、あてがわれる。しかし、物事の「価値」とは「お金」という、ただ1つの「モノサシ」でしか計る事ができないモノではない。価値とは各々が、物事を肯定するという「心」の状態において生まれている。だから僕は「お金」という道具を否定したい。というわけではない。
「お金」とは、本来、人と人との間を行き来して、各々の持っている「能力・視線」を、社会というテーブル上でやりとりするための「道具」であったと思う。人間が使う道具であり、その使用者の「心の動き」、個人の感じる「美・価値」を表出させるための道具であった。これによって、1人の人間が1つの事に特化して、社会の中で専門的に生きる事が可能になった。そんな「お金」という「道具」を、僕は人類の偉大な発明として肯定したい。
しかし、お金が人間の「心」を離れ、お金がお金を増やすための、自己増殖する道具にバグってしまったのなら、改まって立ち止まり、この世界においての「価値」とは何かを考えていく必要があるのではないかとを感じる。
その際に、「4種の世界」に対する、人間の「心」の動き。すなわち「美」「美術」という言葉がキーワードになると思う。それは何度も繰り返すが、芸術の一ジャンルとしての視覚芸術・造形芸術だけを指し示す「小さな美術」。絵画作品や彫刻作品だけを指し示す「断片的な美術」。ましてや、「わけのわからない」の類語の様に使われる「つまらない美術」ではない。「美」という人間各々個人が何に心を動かし、何を肯定するのか、という世界を見る視線「心」を、再び世界に還す「術」。「美術」。人類誕生から連綿と、音・声・絵・物・言葉・表情・身振り手振り等を使い、続けられてきた「美術」。それらを考える事が今必要だと感じている。

2016_04/27_18:42

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